2016年10月21日

秋空に 女神ほほえみ 鯉泳ぐ


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我が家にたまたま保管されていた初優勝時の号外。題字下には“元祖カープ女子”の佐々木久子さんの特別寄稿文「いま太陽が西から昇る」が掲載されています。


いま広島の街はカープの赤一色で燃えています。思い起こせば37年前、球団創設30年目にしてリーグ優勝と日本シリーズ制覇を達成した時はあまりに劇的で今思い出してもまさに神ってるとしか言いようのない出来事でした。

今や伝説となったあの日本シリーズ第7戦の「江夏の21球」。野球にはいつもドラマがありますが、あの21球目の空振り三振の瞬間までの手に汗握るほどの興奮は今も鮮やかな記憶として心に焼き付いています。あの日から今日までカープファンの心には様々な激闘のシーンが刻み込まれてきましたが、これまで幾多の試練を乗り越えてきた努力が実を結び今また25年ぶり7度目のリーグ優勝となって真っ赤な花を咲かせたのです。  日本シリーズ頑張れカープ!

カープが最初のリーグ優勝を果たした年、私はまだ40代で社業も軌道に乗り最盛期を迎えた頃でした。そんな折、デパートの宝飾店に飾られたカメオのブローチが目に留まりうっとりと見とれてしまいました。それからというものデパートへ出掛ける度にショウウインドウの中で微笑むそのブローチが気になって仕方なかったのですが、ある日その店の店主がちょっとお付けになってみませんかと声をかけてこられました。その時にはまだ購入する決心はつきませんでしたが、もしもカープが日本一の栄光に輝いたら買い求めようと一つの賭けをしてみたのです。そして手に入れたのがカープ日本一にまつわる思い出のカメオです。

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クライマックスシリーズ最終試合を激闘で制してますます勢いづくカープ。明日からいよいよ25年ぶりの日本シリーズに突入しますが、カメオの女神がカープ4度目の日本一の栄冠に導いてくれることを心待ちにしています。

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posted by ハルカ at 16:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月18日

広島ご当地考


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先日NHKのブラタモリで二週にわたり広島市内と宮島を探訪する番組を放送していました。それによると広島は先人達が三角州とその前面の干潟を次々と干拓して拡げていき、現在の広島市デルタの姿になったようです。戦前は市街地に七つの川が流れていましたが、戦後の改修工事で六つの川になったこと。また本川を少し上流にさかのぼれば今も広島の原風景とも言えるような手付かずの中州が残され、そこがサギの生息地となっていることなど意外と知らないことも多く興味津々な内容でした。

私も亡き主人も幼少時代は川に親しんだ生粋の広島っ子です。主人は原爆ドームの前を流れる本川の近くで生まれ育ちましたし、私は西に川をもう一つ隔てた天満川の近くの町で育ちました。

歴史を遡れば、広島の河岸には雁木(がんぎ)と呼ばれる階段状の船着き場が各所に作られ、水際のターミナルとして島々や各所からの船が出入りし賑わいを見せていました。そのため被爆前の河岸には旅館や、割烹・料理屋、倉庫などのその立地を活かした施設が数多く建てられていました。
被爆後は、中心部の河岸にはバラックが密集していましたが、戦後の復興計画で河岸緑地帯として整備され、今では桜や柳、夾竹桃など緑でいっぱいの遊歩道もできて美しい水の都の風情を漂わせています。

広島には自然災害も比較的少なく穏やかな気候にも恵まれています。冬には中国山地に日本海からの風が吹き付けて積雪も多く、市内から30分も北に入るとスキーが楽しめます。
春には豊富な雪解け水が川に流れ込むため水不足も少なく、また山間部から瀬戸内海へと注ぎ込む栄養豊かな水と豊富なプランクトンは美味しい魚介類を育みます。

故郷に様々なお国訛りがあるように、それぞれの土地にはそれぞれ固有の気質が備わっています。広島で生まれ育った私も含めて広島人気質を良く言えば陽気で大らかで楽天的。悪く言えば辛抱が足りないと言うことでしょうか。例えば秋田美人や京美人、あるいは博多美人に薩摩おごじょなど、それぞれの故郷の女性をある種の類型をもって表現する言葉がありますが、広島美人という言葉は地元の雑誌タイトル以外に聞いたことがありません。

温順な気候風土に育った広島美人はさながらほわっとしたお人よし美人と言ったところでしょうか?パソコンやスマホなどの普及で情報の格差がなくなり、ファッションやヘアメイクなどどれもほぼ同一のトレンドを追い求めるようになった今、その没個性化はご当地美人までも消し去ろうとしています。

ある方が女性は面立ちでもなく、朝のみずみずしいお顔が一番美しいとおっしゃっていましたが、日本美人という言葉でその本質を語るならば、やはり心身肌の健康トライアングルで活き活きと輝く女性美ではないでしょうか。

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posted by ハルカ at 17:29| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月16日

追想1 ─ 社長との別れ


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毎年元旦に主人(社長)は初日を拝した後、その年の思い、願いを言葉にして年賀状に書いておりました。平成28年の元旦の言葉は「始生」としたためてありましたが一通もお出ししないまま辞世の言葉となりました。始生の意は辞書にもなく、今生を終わる(死)ことは、次なる生への始まりなのだと悟っていたのではないでしょうか。
二カ月余り日々衰えてゆく身体を気力で精一杯生き抜き、四月五日満開の桜の中、九十年の生涯を終えました。穏やかな立派な最期でした。

しばらくは遺品の片付けなどは何も手につかずただ目の前の仕事に明け暮れる日々でしたが、初盆も過ぎてようやく整理をはじめた頃、主人が遺したたくさんのメモの中から一枚の書き物が出てきました。その内容は、最高の親に恵まれた、最高の師に恵まれた、最高の友に恵まれた…最高の人生に恵まれたといくつも繰り返され…そして最後にありがとうございましたと結ばれていました。感謝の気持ちで生きることをとても大切にしていた夫らしいメッセージだと胸が熱くなりました。


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主人は昭和元年一月に生を受け、子供の頃より両親は文武両道(日本軍人として)で厳しく教育していました。早くに孫子の兵法にも親しみ、憧れの海軍兵学校に入校時にも検閲を受けて持参したほどです。その「兵法孫子」─北村佳逸著(昭和17年版)は今でも主人の書庫に大切に保管されています。

二十歳の青年将校(海軍中尉)の時に終戦を迎えましたが、入隊後わずか数年で戦局も末期となり、兵書の教えの実戦もままならずその本質を十分に理解できぬままであったことを大変無念に思い、戦後も孫子の研究を続けてその教えを実戦に応用すべく地元企業の相談役として経営戦略研究所を設立。昭和36年〜昭和43年の間、本業である化粧品メーカーの社長業の傍ら次々と成功の糸口を築いていきました。

しかしいつの頃か孫子は勝つことを教えたのではなく、その理は不敗の極致であり、即ち「戦争はするな」と教えたものだと悟り、その後 孫子の研究に終止符を打ち、「人知以前の世界」への研究と進んだのです。そしてその中で悟ったのが、漢萌の“いのち”の美容の根本とも言える「自然(じねん)にまかせれば自然(じねん)が教える」という哲理だったのです。

posted by ハルカ at 16:33| Comment(0) | ご縁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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