2016年11月07日

カープ燦・讃


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平和大通りでのパレード

日本シリーズを地元で二勝したものの、優勝を信じていたファンにとって期待に反し残念な結果に終わったカープ。

秋空に鯉はね舞えず女神泣く

ファン、私も含め3戦以降は消化不良の感もあり、やや冷たい眼差しの方も多かったようです。しかし11月5日の優勝パレード、マツダスタジアムでの優勝報告会と進むにつれそんな思いは払拭されたのではないでしょうか。

小春日やパレードの歓喜赤く染む

幸運にも抽選に当たったファンで赤、赤、赤一色に染まった優勝報告会。スタジアムは超満員で、テレビで見ていた私も一体となり素晴らしい会でした。

大舞台での緒方監督の采配、選手の予期せぬ不調等々もあり、日本一の栄光を手にすることはできませんでしたが、監督の言葉の通り、口惜しさはありましたがむしろ沢山の教訓を得ることができたことが今後のカープにとって最大の糧となったことでしょう。

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続いて行われた黒田選手の引退セレモニーではその素晴らしいスピーチに誰もが心打たれましたが、クライマックスは式後の感動のドラマ。サプライズで行われた15回の胴上げとその後マウンドに一人残り30秒間にわたり右膝をついて抑えきれぬ涙を何度も拭うようなシーン。私はそこに男気黒田の見事な引き際を見た思いがしました。

秋空に燦・讃と舞う鯉黒田

黒田博樹のあまりに古風で律儀な男の矜持。いま私たち日本人が失いかけている大和魂を見せてくれたようで本当に清々しい一日でした。カープの皆さま有難うございました。




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2016年10月18日

広島ご当地考


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先日NHKのブラタモリで二週にわたり広島市内と宮島を探訪する番組を放送していました。それによると広島は先人達が三角州とその前面の干潟を次々と干拓して拡げていき、現在の広島市デルタの姿になったようです。戦前は市街地に七つの川が流れていましたが、戦後の改修工事で六つの川になったこと。また本川を少し上流にさかのぼれば今も広島の原風景とも言えるような手付かずの中州が残され、そこがサギの生息地となっていることなど意外と知らないことも多く興味津々な内容でした。

私も亡き主人も幼少時代は川に親しんだ生粋の広島っ子です。主人は原爆ドームの前を流れる本川の近くで生まれ育ちましたし、私は西に川をもう一つ隔てた天満川の近くの町で育ちました。

歴史を遡れば、広島の河岸には雁木(がんぎ)と呼ばれる階段状の船着き場が各所に作られ、水際のターミナルとして島々や各所からの船が出入りし賑わいを見せていました。そのため被爆前の河岸には旅館や、割烹・料理屋、倉庫などのその立地を活かした施設が数多く建てられていました。
被爆後は、中心部の河岸にはバラックが密集していましたが、戦後の復興計画で河岸緑地帯として整備され、今では桜や柳、夾竹桃など緑でいっぱいの遊歩道もできて美しい水の都の風情を漂わせています。

広島には自然災害も比較的少なく穏やかな気候にも恵まれています。冬には中国山地に日本海からの風が吹き付けて積雪も多く、市内から30分も北に入るとスキーが楽しめます。
春には豊富な雪解け水が川に流れ込むため水不足も少なく、また山間部から瀬戸内海へと注ぎ込む栄養豊かな水と豊富なプランクトンは美味しい魚介類を育みます。

故郷に様々なお国訛りがあるように、それぞれの土地にはそれぞれ固有の気質が備わっています。広島で生まれ育った私も含めて広島人気質を良く言えば陽気で大らかで楽天的。悪く言えば辛抱が足りないと言うことでしょうか。例えば秋田美人や京美人、あるいは博多美人に薩摩おごじょなど、それぞれの故郷の女性をある種の類型をもって表現する言葉がありますが、広島美人という言葉は地元の雑誌タイトル以外に聞いたことがありません。

温順な気候風土に育った広島美人はさながらほわっとしたお人よし美人と言ったところでしょうか?パソコンやスマホなどの普及で情報の格差がなくなり、ファッションやヘアメイクなどどれもほぼ同一のトレンドを追い求めるようになった今、その没個性化はご当地美人までも消し去ろうとしています。

ある方が女性は面立ちでもなく、朝のみずみずしいお顔が一番美しいとおっしゃっていましたが、日本美人という言葉でその本質を語るならば、やはり心身肌の健康トライアングルで活き活きと輝く女性美ではないでしょうか。

http://www.kanpoo.co.jp/




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2015年12月01日

紅葉三題

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東大の銀杏並木

学園の掲示板に貼られた全国大学女子学生大会(名称は定かではない)募集を見て「東京へ行こう!」と決心し、高揚した友人と共に申し出て許可をもらったのは、昭和29年のちょうどこの頃の事でした。当時東京へはまだ「安芸号」なる蒸気機関車で行く時代。広島を発ち、東京までは20余時間の長旅でした。

当時の記憶は切れ切れで定かではないのですが、お茶の水女子大学が会場であり、宿は当時学内にあった学生宿舎。薄暗いはだか電球だけの木造宿舎に多くの女学生たちと宿泊しました。他校の方たちとも仲良くなって皆で銭湯へ行き、帰り道に焼き芋を買って新聞紙にくるんでもらいぬくぬくと食べた記憶が蘇ります。

本題の大会の事についての資料は残っておらず、目的・内容の記憶も曖昧です。ただ、全国一流大学の方達の壇上での熱弁に圧倒されたことを覚えています。

最終日の集会場所は東大の安田講堂前。赤門から安田講堂辺りは紅葉が真っ盛りで、ことに銀杏並木は圧巻でした。集会が終わり安田講堂から正門まで声高々に歌を歌いながら行進しました。歴史を感じる銀杏並木の大樹から一斉に舞い降る様は壮観で黄色の落葉の絨毯を素足で踏みしめながら皆で歌い進むその一体感に込み上げる熱い想いはまさに青春そのものでした。

信州の秋


秋の旅は日暮れが早い。長野の霧ケ峰に降り立ち、散策後急いでバスへ。車窓から夕日に一面の草もみじが金色に輝いてまばゆい程でした。

山は暮れて野は黄昏(たそがれ)の薄(すすき)かな ─ 蕪村の句とその光景を結びつけながら車窓の景色は逆光に変わり、草もみじを背景に一面のすすきがキラキラとゆれながら輝いて見えてきました。

逆光のすすきの原に風のたつ ─ 晴恵 思わず一句詠みました。
信州はあちこちに俳人たちの名句が残されており、重ね合わせながらの旅も楽しいものでした。


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落葉あれこれ

ひと歳とってからの姉との旅はことのほか楽しく、桜を愛でれば次には秋の訪れを心待ちにしていたものです。

京都への旅は大方は日帰りでしたが、一度だけ一泊旅行をいたしました。トロッコ列車にも乗り嵐山界隈の紅葉の名所をいくつかゆっくり巡りました。

京の秋の夜は静寂そのものでした。久々に姉妹枕を並べて幼い頃のこと、友のこと、戦中戦後の貧しくひもじかったことなど話しながらいつしか夢の中へ─。夜半過ぎ急に冷え込み、木枯らしの様子に紅葉を案じながら朝庭に出てみると苔庭の上に色とりどりの落ち葉が舞い散り、初霜が降りたのか一際鮮やかに発色し朝日に映えて錦絵のようでした。

今日から12月。日増しに寒さもつのり霜が降り始めると紅葉も一層鮮やかになり、束の間目を楽しませてくれますが、やがて一気に散り落ちてしまいます。ふとアスファルトに散った街路樹の落葉たちは風に飛ばされどこへ行くのだろうと少しセンチな気分になりました。刹那に暮れ色に移り変わる冬空のせいでしょうか?




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