後の月は栗名月とも云われ、華やかでユーモラスな仲秋の名月とはまた違い楚々としながらも凛として、ゆったりと晩秋の夜空を照らしています。星もきれいです。
昨年の9月には社長と仲秋の名月を愛でながら自然の恵みに感謝しつつ、人生を日本の四季に例え、これまで過ごした歳月を「総じて人生は素晴らしい」と語り合ったものです。
日本の四季はそれぞれに美しい。私たち日本人は四季の移ろいの中に、光、風、音、色彩、形などの微妙な趣を感じとり、生きとし生ける万物に対する感謝の念や慈愛、儚さを想う独特の感性や精神文化を育む大きな素因となったのだと思います。
しかしこのところ相次ぐ不祥事。真摯な日本人のものづくりへの信頼が音をたてて崩れつつあることに悲しく恥ずかしく先人たちに申し訳ない思いさえします。また様々な生活シーンで感じることは人々がお互いの目を見ながらコミュニケーションを交わさないということ。スマホというバーチャルな世界を介して繋がろうとする人々が何と多いことか。子供然り、その子供たちのママ然りです。平和な豊かさがもたらした負の文化でしょうか?
思い起こせば私は仕事にあけくれ、子供の躾けは義母にまかせていました。それについては今も大変有難く思っています。ただ、いつも夕方家に帰ると何はさておき広縁にて皆でお茶をしながら一人5分間話しをすることを大切な日課としていました。何を話そうか子供なりにまとめていたようで、その時には必ず目を見ながら一所懸命話しを聞いてやる事を心掛けていました。今にして思えば後の受験や社会生活にも役立ったと思っています。どうぞ子供たちの話は輝いた目を見て一所懸命聞いてあげてください。一時を大切にするということはとても大事なことです。
秋の夜長 灯火親しむの候、なつかしい方にお手紙をしたためるひと時。哀愁を帯びた弦楽器の音色を聴きながら読書に耽るそんなひと時もロマンチックです。日本の晩秋を満喫いたしましょう。
秋深し夜の闇もまた澄みにけり ─ 晴恵