一昨夜、森鴎外と夏目漱石の二人の文豪作品を通して「恋の罪」について語るテレビ番組を見ながら、米寿も近い主人に「恋をされたことがありますか」と問いかけてみました。すると主人からは真面目な顔で「恋は無い。日々戦いを如何に成すべきかという自問に明け暮れる毎日だった」との返事が。
文武両道で育ち、幼い頃から連合艦隊司令長官になることが夢で昭和16年12月1日にあこがれの海軍兵学校に入校。その後わずか一週間後に太平洋戦争が勃発すると「気合を入れろ」の号令のもと教練はにわかに苛烈を極め、教導期間を半年早めて卒業し天皇陛下の拝謁を受けた後実戦部隊に配属された。戦局は次第に厳しさを増し、戦いに心血を注ぐも兵器も乏しくなり負け戦は悔しく悲惨であったと述懐している。青春はまさに生死を賭けた戦いの真只中にあった。
戦後の社長の生き様も全てにおいて戦いと同じ向き合い方であったと思います。結婚当時、主人は経営戦略研究所を立ち上げ家電量販店のコンサルタントとして特に力を注いでいたのが若手社員の教育です。その手法はまさに戦いそのものの様相を呈していました。
しかし、その過酷なまでの教育訓練において若者は皆純粋であり、真摯であり、意気に感じて一途に付き従ってくれていました。それは言葉を変えればひたすらに道を極めようとする若き戦士たち。
私自身も彼らと共に春には一燈園で研修、夏には禅寺で一週間の接心に参加し同志でもありました。“教練”という言葉はあまり適当ではないかも知れませんが、私にとっての仕事場は道場であり、心身修養の場であり、そして自己を実現するための場でもあったのです。
次回へつづく